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祝新元号 「令和」
7月は旧暦文月(ふみづき)。七夕に詩歌を献じたり、書物を夜風に曝す風習からが定説です。季節は、梅雨明けから本格的夏。七夕に海開きから花火大会納涼祭など楽しみの多い時期です。新元号「令和」が始まりあっという間の2か月。今年の歴史的節目、新たな時代に変わり、良い時代にと期待が膨らむ記念の時です。
2019/7/1更新

水引発祥の原点と興り

水引発祥の原点
水引発祥の原点は、遥か飛鳥時代607年遣隋使小野妹子が、海路で無事安全
に帰れるようにと祈願して、答礼使が携えてきた贈り物に紅白の麻布を結び付け、
日本に持ち帰ったといわれるのが水引発祥との伝承があります。


遣隋使
水引産業の興り
その後、平安時代になると、宮中における宗教的な儀式に「贈答品の装飾」として水引が使用されました。
宮中絵巻の解説によりますと、紅白は太陽陰暦の陰と陽を表し、
神聖な場所と一般社会とを区切るため、水を引いて清めるので
「水引」と記されているようです。
また、宮中では最高級の「口紅」を染料としたので「くれない」というとも記されています。
当時朝廷宮中内には、専門の水引工房・工匠がいて貴族内での特殊産業であったようです。
その後、庶民にも贈答が盛んになった江戸時代には、日本の独特の文化として定着しました。

水引(みずひき)とは何ですか。水引の歴史から由来飯田水引の発展を解説

水引とは

水引は、祝儀袋や不祝儀袋の表に用いられる飾り紐で、主に結納品、

贈答品の表紙(おもてがみ)、正月飾りなどに使用される飾り紐の素材の事です。

色や種類も豊富でその素材を使用し、鶴や亀、松竹梅、宝船などが水引細工として製作されています。

最近では、装飾品やアクセサリー、インテリアなど、多岐に渡り利用されています。

主な生産加工地としては、長野県飯田市が有名です。

曲線美の美しさと繊細さが日本独特の文化であり、結
び方や本数にこだわりや意味合いが深くあり、場面に応じて使い分ける必要があります。
意味合いを間違えるととても失礼な事となったり、恥ず
かしい思いをしてしまうことにもなります。
こんなはっきりしない面倒なこだわりが、なぜあるのでしょうか。
これにつきましては、歴史からの解説となりますので、改めて後ほどいご案内いたします。





水引の結び方の意味と種類
水引結び方の種類と意味は、大きく分けて二つ
結び切り(真結び淡路結び)
目上の人や改まった贈りもの
中央で固く結ばれ、一度結ぶとほどくことが難しいことから、二度と繰り返してほしくない、
結婚や弔事病気見舞いなどに使われます。
花結び(花結び・引返し結び・蝶結び・行結び・リボン結び)
これは、ほどくことが出来る結び方、何度あってもうれしい出来事、祝事に使用されます。
出産や進学など婚礼以外のお祝いに使用します。
飾り結びは、この二つの結び方に従って飾りをあしらった結び方です。
冠婚葬祭のさまざまな場面で必要となる水引ですが、使い方を間違えると相手に大変失礼なことをしてしまうことになります。
ご祝儀袋や不祝儀袋は、コンビニエンスストアやホームセンターや文具店紙専門店などで購入することが出来ます。
その際は、使用用途や包む金額などを考慮の上ご購入されるとよいでしょう。
水引の製法と使い分けの意味
水引は、和紙をこより状にし、よりが緩まないように水糊を引いて固めています。諸説ありますが、これが水引の語源ともいわれています。
水引の色は、慶事には、紅白・金銀・赤金、弔事には白黒・黄白・青白・銀などが使用されます。
「陰と陽」濃い色が右側に来るよう左が薄い色になるように結びます。
水引の本数
3本5本7本10本奇数を使用します。(10は1として数えます)


結婚内祝いの水引
結婚内祝いの水引は紅白10本が基本ですが、ちょっとしたお品の場合は7本の水引を用いることもあります。
結婚は1度きりの繰り返さないお祝いことなので、ほどけない結び切りで両端が上を向いた水引を選びます。



出産内祝いの水引
出産内祝いは紅白5本の水引を用い、丁寧なお品には7本を用いる場合もあります。何度あっても嬉しいお祝いことなので、結びなおせる蝶結びを選びましょう。


本数に迷ったら
本数に迷ったら、お品とのバランスを考えるとよいでしょう。
例えば連名で結婚祝いを頂いた方への内祝いに、小分けできるものなどをまとめて贈る場合には、10本の水引では豪華すぎるかもしれません。そんな時は7本の水引でも構いません。
また、サイズの小さいお品だと水引ばかりが目立つことになるので、その場合は7本(結婚内祝い)、5本(出産内祝い)を選ぶとよいでしょう。


長い歴史のある水引には、見た目だけでなく贈る相手を思いやる気持ちがあらわれています。
色や本数、結び方の意味などで時と場合によって使い分けます。
そんな伝統を守りながらも現代風にアレンジされた水引が増えてきました。
ご祝儀袋やのし袋だけでなく水引がもっと身近になるアイテム、日常的に使う雑貨やアクセサリーなど、を手がける素敵なブランドも多数出来てきています。
大切な方への贈り物に使用してみてください。

「のし」は慶事一般の贈り物につきます。
熨斗の起源は、慶事に贈る酒の肴(さかな)であったといわれます。

お札の包み方 中包の書き方 紙包みのおり方
表書きにつきましては、引続き公開いたします。


飯田の水引づくり
飯田の水引づくりは江戸時代に興りました。気候風土や立地条件が適していたことから、産業として着実に発展し、現在では全国シェア―の70%を占める大生産地となっています。近年では金封や結納品に加え、芸術作品や装飾品としての水引細工に取組むなど、新規需要の開拓も図っています。
さまざまな儀礼の場を通して、水引は人と人、心と心を結ぶ、なくてはならない美風として定着しています。
飯田水引組合は、1936年(昭和11年)下伊那水引組合が産業振興の守護神と言われる菊理姫命(くくりひめ)を祀る飯田市内権現山白山社へ土地を寄進しました。その後戦時体制に移行する中、国の組合法に基づく工業組合が1939年(昭和14年)申請され、飯田元結工業組合として認可を受け組合員は116名で設立されました。

水引職人
昔の水引製造風景  飯田水引産業史より


水引基本結びの種類と多当の折返し
水引の基本的結び方は、大きく分けて3種類。

水引結びの基本

花結び(蝶結びとも言います。)一般的お祝い事で何度繰り返してもよいお祝い事、例えば出産祝い、入学祝、新築祝、栄転祝などの結び方です。

淡路結び(結び切りとも言います。)人生1度だけのお祝い事(婚礼)や仏事などの結び方です。

結びきり(淡路結びと同じ意味合いです。)人生1度だけのお祝い事(婚礼)や仏事などの結び方です。

多当折返しの基本2種類
多当折返し

下側が上に重なる折返しは、お祝い事慶事の折り方で、嬉しいことを受けるという意味合です。

下側が下に重なる折返しは、弔事の折り方です。
悲しいことが流れる意味合いです。

日本の伝統文化水引の歴史から製法今後の発展などを解説

◆飯田市の水引産業の発展の経緯と歴史を解説
城下町として発展した飯田市。幕藩時代から城主の産業振興がはかられ、数多くの地場産品が生産出荷されていました。
そのなかでも水引は、元禄時代からの伝統手法を継承しながら、全国に出荷している唯一の地場産業として発展してきております。その意味からも、水引産業は飯田市を代表する伝統産業として今日まで歴史的、文化的側面からも地域社会の発展に高く評価されています。


水引職人


水引は、日本古来の伝統風習に用いられた鮮やかにして美しさを表現象徴し、冠婚葬祭には欠かせない役割をもっています。今日では、水引の美しい特性を活かしながら現代社会に適応するデザイン、色彩、細工つくりなど、様々な製品づくりに努力し、新たな価値観を生み出す商品が出来て来ています。
水引産業が飯田市に生まれ育った経緯や300年余年の歴史的変遷を体系的にまとめ生成発展過程などを解説していきます。
飯田市は、長野県南部に位置し、南アルプスと中央アルプスに囲まれた、自然豊かな地で「小京都」といわれています。江戸時代から信州南部の中核都市として発展し、20余りの地場産業が立地した中、水引産業は、四国伊予三島、川之江地方と並ぶ全国二大生産地を形成しています。
「元結」は、日本相撲協会へ納入する、日本唯一の生産地です。平成13年(2001)現在、飯田水引組合加盟27社43の工房があり、水引、金封(祝儀袋)、祝儀用品、正月飾り、熨斗・神社仏閣関係用品などの祝儀用品を生産し飯田地方を代表する地場産業となっています。


水引職人水引職人

◆水引の興りと水引という名称はどこから
日本への和紙伝来説の中に、607年遣隋使小野妹子が、日本に無事帰れるようにと祈願して、紅白の麻布を荷物に結び付け、日本に持ち帰ったといわれるのが水引発祥との伝承があります。
平安時代になると、宮中における宗教的な儀式に「贈答品の装飾」として水引が使用されました。
宮中絵巻の解説によりますと、紅白は太陽陰暦の陰と陽を表し、神聖な場所と一般社会とを区切るため、水を引いて清めるので「水引」と記されているようです。また、宮中では最高級の「口紅」を染料としたので「くれない」というとも記されています。当時朝廷宮中内には、専門の水引工房・工匠がいて貴族内での特殊産業であったようです。
水引職人


◆飯田地区への水引伝承興り
飯田地方最古の伝承は、地頭近藤六郎周家(ちかいえ)が紅白の紙縄を撚り、文治2年(1186年)朝廷への献上品凍み豆腐に、水引を付加したのが始まりといわれています。
飯田に水引産業が位置づいたのは、元結商人が全国に販路を広め初めたころ、祝儀用水引も一緒に持ち歩いたことから、全国各地に広まったようです。
明治になると断髪令が公布され元結業が衰退し始めるとともに、元結の技術を生かした生水引製造が発展しました。その後技術の向上と工夫・開発により職人の手扱き水引が明治10年代に全盛期を迎えました。
当店は、ちょうどそのころ開業いたしました。
第二次世界大戦戦後の昭和20年代前半に、復員した職人により、紅白・黒白水引の生産が復活し、さらに昭和20年代後半になると、東京など大都市の労働力不足から、生水引の注文とともに水引細工を施した金封などの注文が大量に入るようになりました。
これが現在の水引細工へと転換するきっかけとなり、昭和30年代後半には、飯田の立体的な水引工芸品が各種コンクールで入賞するなど、高度経済成長とともに、結納品などの売れ行きが好調になりました。
さらに高品質の水引の製造機械が開発されたことにより、大量生産が可能となり、昭和50年代から60年代には第二次黄金期が到来しました。
大量注文に応じるために家庭内職者は6000人余りを数えました。しかしその後、急速な少子化の進行や若い世代の結婚観の多様化などによって、主力商品である結納品の需要が減少し始めました。
このような状況を踏まえ、業界では付加価値の高い新商品の開発や生産コストの削減など、需要拡大の努力とともに経営の合理化に努め、今後に向けての体質改善に取り組んできております。
元禄時代から今日まで300有余年、時代の変化に対応し連綿と継承してきた飯田水引産業も、今後けして明るい平坦な道のりではない厳しさがあります。それはひとつには、第2次大戦後経済を優先し、物の豊かさは実感しましたが、日本の伝統的な良き風習や生活慣習、心の豊かさが失われてしまったからです。


水引職人

人の心と心を結ぶ水引の果たす役割も、その言葉さえも理解されない世代が増えてしまって残念な時となってしまいました。
しかしながら最近では、あまりにも効率化希薄化が進み、またAIなどの導入や海外からの観光客の増大そして東京オリンピックを控え、日本の伝統文化を象徴する水引が、本来の意義を再認識され、若い人たちの新たな商品開発などにより、伝統を重んじ儀礼を尊ぶ社会に変化しつつあるようです。

水引の歴史と起源

飯田の水引

今でこそ様々な祝儀や結納飾りなど「ハレ」の日を演出する小道具として欠かせない水引。

水引の原形は、遥か飛鳥時代にまでさかのぼります。

遣唐使の答礼使が唐から携えてきた献上品に、海路の平穏を祈願した紅白の麻が

むすばれていたといわれます。

以来、宮廷への献上品には紅白の紐を結ぶ習慣が定着し、時代を経て民間

にも広がり、今日の風習へと定着しました。

水引づくりは江戸時代に飯田で興りました。

気候風土や立地条件が適していた事から、産業として着実に発展し、

現在では全国シェアーの70%を占める大生産地となっています。

近年は金封や結納品に加え、芸術品としての水引細工に取り組むな

ど、新たな需要の開拓も幅広く図っています。

さまざまな礼儀の場を通し、水引は人と人、心と心を結ぶ、

なくてはならない美風として定着しています。

水引の起源をはじめとして、日本には古来より「結ぶ」事に対する

深い信仰がありました。おめでたい席に欠かせない「松竹梅」や「鶴

亀」は中国の吉祥思想や蓬莱思想の影響を強く受けていますし、「花

結び」や「結びきり」といった結び方用い方の細かい約束事が残っ

ているのも、私たち日本人が、「結ぶ」ことにやはり特別の思いを

持っているのにほかならないのです。

飯田水引産業史

飯田の水引産業の過去から現在までの歴史変遷を語る。飯田水引組合が制作販売。

飯田水引産業史

こだわりの水引生産の原点

心を結ぶ水引「和」の形

慶弔時の包みものなどに付ける水引の製造は、飯田地方の代表的な地場産業の一つです。のりを塗った真っ白な和紙のより紐を、長さ約18メートル125本を平行に整然と張り、目印を付けた区間に、はけで塗っては乾かしの作業を何回も繰り返し、少しずつ色の赤が増していき、赤と白の水引がひときわ鮮やかになっていきます。水引には様々な色がありますが、基本は紅白。赤の語源は「明(あかし)」日本人がイメージする明るい太陽の色で、「血の通った心からの付き合い」を意味します。贈り物の封印の為に真心を込め結び、その意味合いから、進物には必ず水引を付けるのが礼儀です。

心と心を結ぶ水引は、「和」の精神の一つの形で、水引に込められた思いが、日本人の中に生き続けてます。

手こき水引

H25.1.25信濃毎日新聞引用

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